crow 48 white.png

zero fighter blue shinning 2.png



























私のアメリカ体験

1980年代から2000年代まで、それぞれ、10年から20年のアメリカでの滞在を経験された作家たちが当時何を考え、今振り返ってどう考えているのか。当時の体験やその意味、解釈などをスライドを交えて語りました。

2018年8月4日(土) 16:00〜18:30 Art Space 赤い家にて
登壇者:とし田三津夫、有坂蓉子、橋村至星(参加作家)

都筑アートプロジェクト2018 米からアート - はじまりはじまり
はじまりはじまりチラシ表.jpg米からアート_はじまりはじまり2.png


とし田三津夫今回「米からアート~二つの米から考える」という展覧会を行なうにあたって、タイトルの意味するところであります、米国、アメリカの在住経験のある三人(とし田、橋村、有坂)のアメリカ体験を話すことになりました。

橋村至星:私は、橋村至星と申します。よろしくお願いします。

有坂蓉子:私は、有坂蓉子といいます。よろしくお願いします。

とし田各自が30分程度に纏めた話をした後、対談、または、Q&Aのフリートークに繋げていきたいと思います。


アーティスト・トーク とし田三津夫

R0132548.JPGとし田ではまず私、とし田三津夫から始めます。私は1980年からニューヨークで美術大学生として生活を始めました。大学に入学するとすぐに大学の友人の伝手でイーストビレッジのアパートを見つけることができました。イーストビレッジというエリアのことについては、日本でもキース・へリングやジャン・ミッシェル・バスキアといったグラフィティアーティストのメッカとして度々紹介されているので皆さんも知っている、聞いたことがあるという人も多いのではないかと思います。イーストビレッジ以前はソーホー地区がNYのアート界の中心的な街でした。抽象表現主義、ポップアート、コンセプチュアル、ミニマルといった潮流を創った画廊が集積していた地域です。今回私が扱うイーストビレッジはソーホーのエスタブリッシュメントに対してアンチであったり、価値観や世代の異なるオルタナティブなアートの街になって行きました。イーストビレッジ最初の商業ギャラリーであるファン(楽しい)ギャラリーが81年にオープンして、前述のキース・へリング、バスキア、ケニ―・シャーフといった作家たちの展覧会で人気を博しました。続けざまに空き店舗を改装したギャラリーがオープンしました。当時の感覚として、ソーホーがファインアートを核にエリート主義的な大人の街であるとするならば、イーストビレッジはアートがクラブシーン(音楽、ダンス)や落書き運動と融合した若者文化の中心地として注目されるようになったのです。

koons.jpgグラフィティアートについては日本のメディアでも紹介されているので、皆さんもご存知かと思います。そこで今回はイーストビレッジのアートシーンのもう一つの流れであるポストモダン派と呼ばれたアーティストたちの作品についてお話しします。このポストモダン派というのはざっくり言うと高度消費社会のリアリティについて基本的には肯定的な表現を行なう、新しい感覚を身に付けた若者世代のアーティストと言うことになります。

まずは日本でも有名で良く知られているジェフ・クーンズの初期作品です。後に彼を有名にした超ポップな作品(マイケル・ジャクソンとペット猿の彫像など)になる前で、日用品である掃除機をプレクシグラスの展示ケースに入れて蛍光灯で底から照らすだけの作品。いわゆる商品をそのままアート作品として提示、展示することで、アーティストの手仕事の介入を否定して、工業製品の中にもある美しさみたいなものを、感じさせる作品でした。この作品を初めてギャラリーで見た時は、やはりショックを受けました。



surrogatepaintings2.jpeg次はアラン・マッカラムという作家のサロゲートペインティングという作品です。salogateとは代理、代替え、といった意味で、最近だと代理母なんて使われ方がします。壁いっぱいに飾られている色とりどりのペインティングは、実は全て、額の部分も本体の部分も、一体のセラミックで作られています。つまり額に入った絵画という形式だけを抜き出した代理(偽)のペインティングなのです。この形式だけをコピーして中身は空といったアプローチは彼の写真作品にも見て取れます。



pppair01.jpegperpetual photo(永続写真)シリーズの被写体は通常の人物、事物、風景といったものではなく、テレビに映った画像です。多くはテレビドラマのワンシーンの中に映っている部屋に飾られた絵画や写真作品を超クロースアップに引き延ばしたもので、元々のイメージは解体され、具体的な形象がもはや確認できない抽象的な写真作品になっています。




11__un_color_becomes_alter_ego_1984_view_3_3_angle21.jpg次に紹介するハイム・スタインベックという作家も消費文化を全面的に肯定するというアプローチは同じで、むしろそれが一番前に出ているアーティストだということが言えます。
ギャラリースペースに設置した棚の上に、普通に流通している商品を置いて並べるだけの作品です。作家規格の棚には洗剤や水差し、キッチン用具やラジカセ、ヨ―ダ(スターウォーズ)の被り物に至るまで、様々な商品が並列配置されています。日常生活で特に気に留めることもない品々がギャラリーの空間に置かれることで、それらの商品のアレンジメントから普段とは異なる詩的な雰囲気(意味)を醸し出しています。ジェフ・クーンズの掃除機の作品もそうですが、ギャラリーに日用品を持ち込むというのは実践はマルセル・デュシャンのレディメイドの消費社会バージョンと言えるかも知れません。

ashley bickerton.jpg最後のアシュレー・ビカートンの「自画像」というパネル作品は、作家自身が日々愛用している様々な商品のロゴマークを転写したしたものです。商品によって自分のアイデンティティか規定されることが、まさにそれが現代人の自画像という訳です。

グラフィティアートと今回紹介したポストモダン派はイーストビレッジ中心に広がり、アートエスタブリッシュメントのソーホー地区に対してオルタナティブな感性、新しいアイディア、異なる価値観を標榜する若者文化の街として、圧倒的な支持を得ました。地域ビジネスも含め、アートを梃子に若者たちが原動力となって街を活性化させて行く様はなかなか見ごたえのあるものでした。若者たちが主体的に活動できる場所を自ら築き上げた例として記憶にとどめる価値のあるものだと思います。





アーティスト・トーク 有坂蓉子

有坂:有坂蓉子といいます。よろしくお願いします。

私は、ニューヨークへ行きたいと思ってから(行くまでに)10年かかりました。日本で大学を終えて……絵画科油画(ゆが)専攻だったんですが、(その頃)そろそろ、平面でなくても、インスタレーションでもパフォーマンスでも、やっておかしくないといった雰囲気ではあったんですけれど、まだ、みんな、平面制作がメインでした。

私は、日本で、疑問に思ったことが2つあって、アメリカに行きたいと思いました。ひとつは、「あなたは抽象画を描きますか?それとも具象画ですか?」という、聞かれ方がヘンだと思ったこと。それから、大学を出て、すぐに個展とかグループ展をしていましたが、それが、企画展だったこともあれば、一番最初は、自分でお金を払ってやったんですが、そういうのを通して、貸画廊があるというのが腑に落ちなかったことです。で、「海外はどうだろう。(そのシステムを)見てみたい」と思うようになり、行くなら、やはり、ニューヨークだなと思っていました。

ちょうどその時、上智大学で勉強していた、アメリカ人のフォトジャーナリストと出会い、彼もアートをやっていたので、彼の帰国に合わせて、一緒にアメリカに行くことにしました。その頃の私は、アメリカ人と見るや「ニューヨークから来たんですか?」と聞いてしまうような人間だったんですが、彼は、ニューヨークからではなく、「アイダホ」から来たのでした。

アイダホと聞くと、たぶん、ほとんどの日本人は「ポテト」を連想すると思いますが、それは……正解です。実際、道の両側には、ポテトを貯蔵している大きな倉庫が並んでいます。ただ、私が居たのは、サン・バレーという町(この写真のところ)です。ユニオン・パシフィック・レイルロードというのをご存知ですか?アメリカの中部から西部にかけて、開拓者時代に開発されましたが、

とし田:(映画)『明日に向かって撃て』!

有坂:はい、『明日に向かって撃て』の時代ですね。その頃、西にどんどん開拓されていった時代に、鉄道を作っていった。で、アイダホ州というのは、かなり、西寄りで、シアトルのある、ワシントン州の隣です。北は、カナダとのボーダーに接しています。そのくらいのヒック・タウン、つまり、田舎町なんです。まあ、アメリカの内陸のほとんどは、ぶっちゃけ、田舎ですね。(ニューヨークのような)都市は、まわり(海岸沿い)に、ちょっとだけ、あるというイメージ、それは、大統領選の時の報道などでわかると思いますが……ここ、アイダホは、ユタ州やアリゾナ州にも近いので、「山の中の田舎」といった感じです。

ところが、私の行ったサン・バレーは、写真のように、よさげな感じ。私が住んでいたところは、ここまで、よくはなかったんですけれども、コンドミニアムがたくさんあったりして、スキー場があって、まあ、日本でいうところの軽井沢みたいなところなんですね。避暑地であり、スキー・リゾート。目の前をリフトが、ガンガン行くような、コンドミニアムの4階に住んでいました。面白かったのが、ここは、ユニオン・パシフィック・レイルロードが作った町だということです。昔から、地元の人たちが住んでいるという、田舎町ではなく、作られた町。でも、まあ、とりあえず、アメリカをこういうところから見てみよう、と思いました。

特殊ではあるんですけど、ここは、アートに尽力している町でもあり、実は、別荘地なんですね。ここで、個展をやらせてもらったり、日本語を教えたりしました。居たのは、1年弱でした。ギャラリーは、ありました。観光地だったので、いろんな人がアメリカ中から来ます。白人社会でした。カラード(有色人種)は、チャイニーズ・アメリカンとアフリカン・アメリカン、そして、私の3人だけ。ヨーロッパ人も多い、白人社会の町。でも、もともと、ネイティブ・アメリカンの土地だったので、ギャラリーといっても、お土産屋的で、売っている絵もインディアンの昔ながらの姿が多く、酋長だったり、大きなママがコーンを挽いている姿だったり。で、私はだんだん不満を覚えるようになりました。(早く現代美術に触れたいと)

ただ、この町に行くには、たとえば、シアトルから車で行く、あるいは、サンフランシスコから行く、オレゴンのほうから行く。とにかく、どこか大きな都市から車で行くしかなくて、行くとすると、こんな風景(クリストの写真:ランニング・フェンス)を通って行くわけです。飛行機でサン・バレーに行くこともできますが、だいたい若い時ですから、私は運転できないので、誰かの車に乗っけてもらう。2日くらいかかります。こういう風景の中を延々と、最短で15時間くらい走ります。そうすると、眠くなります。(ぼんやりと)草原を見ているうちに、「ああ、眠い。ああ、黒い点々が見える。蠅がいっぱいいるな」「ん?」「いや、蠅なわけがない」となる。で、近づくと(黒い点々は)牛だったりする、こういう光景。で、「ああ、なんかこの感じ。平原を覆い尽くしたい」という気持ちがわき起こった時に、「あ、クリストがやってるじゃん」と気づき、初めてクリストの気持ちがわかったわけです。もともと、クリストは、例えば、ビルディングを包んだ時、包むことによって、そこの空間を意識する、理解するとか言ってましたけれども、まあ、これなんかも、現場(こういう光景の場所)に行ってみて「ランニング・フェンス」を作った気持ちが、すごくよくわかった。日本にいたら、この作品の意味を実感できなかった。

1_smithson_spiral_hill.jpgそれから、これ、スパイラル・ジェッティですね。ロバート・スミッソン。この人の気持ちもわかった。(広い土地を目の前にして)なんとかしたい、地面をいじくりたい、という気持ちは、やっぱり、行ってみないとわからない。広い空間に身を置かないと、わからないことだって。で、「ああ、田舎に来てよかった」と思ったのは、そういうことです。これは、同じく、スミッソンのちっちゃな山(スパイラル・ヒル)なんですけれど、現在、私は、日本で「富士塚」という、富士山のミニチュアについて活動しているんですが、この山のイメージが、もしかして(私の)根底にあったのだろうか、と思う今日この頃です。スミッソンのこの作品を見たのは、80年代の前半で、まだ富士塚のことをやっていなかったのですが、今回、80年代のことを思い出した時、「なあんだ、こういうのを私は夢中になって感じていたんだな」となったわけです。

そのあと、日本に帰ったり、(アメリカと日本を)行ったり来たり、パートナーの都合もあって、次に行ったのが……まだ、ニューヨークじゃなくて、サンフランシスコでした。この写真は……アセテートフィルムといって、アニメ・フィルムみたいな透明フィルム。それに自分のお尻をペイントして、ボディプリントをやったものです。実は、これより前、このフィルムを手に入れる前に、自分の体にペイントして(アパートの)壁に体当たりし、壁中、ボディプリントだらけという状態でした。それが面白かったので、この作品では、フィルムを使ったボディプリントのまわりにドローイングを配置しました。私は、日本のユリイカという雑誌にイラストを10年ほど送っていたので、ちょこちょこグラフィックなことを、このように(ボディプリントとの)バランスを考えて、組み合わせてやりました。

2_body_prints.JPGこの、私の横に寝ているのが、友達のボディプリント。ロールの透明フィルムの上に、このようにボディプリントが20体ほど並んでいます。すごく長いロールです。物がないから体を使ったということもありますが、表現(や素材)の自由というか、キャンバスから離れる快感を体験して、気持ち良くなったわけです。それと、友達にコラボしてもらう楽しさ。夕飯を作ってあげるという条件で、うちに来て、裸になってもらってボディプリントをつくる。それを何人もつなげていく、というのをやったんですけれど、実は、その中には、事故で亡くなった人、死産した子(妊婦もプリントしてくれたので)も含まれていて、要するに「抜け殻」みたいな状態で(lifeを)とらえられる作品です。

もうひとつ、「抜け殻」というタイトルの作品(私自身のボディプリント)を作ったんですけど、この背後にある白い布は、中国を旅して使った袋です。当時、中国の安宿は汚すぎて、旅行者は自分でシーツを持ち込むのが常識だったんです。ノミやシラミがいるので。で、シーツを使ってもいいんだけど、ある時、イシイスポーツに行ったら、ダウンのスリーピングバッグの中に入れるとフィットする、コットンの袋状のライナーを見つけたので、それを使ったわけです。中国に行ったのは、私とパートナーと、もうひとり友達を入れて、計3人。約1ヶ月間、真夏です。暑くて、毎日毎日、これを洗濯をしました。3袋を一緒に洗って、取っ替え引っ替え使いました。で、旅から戻って来た時に、袋を見てこう感じました。この袋たちは、3人分の30日間の睡眠をとった空間、私たちの体のボリュームを記憶しているんだな、なんか面白いな、と。で、抜け殻であるボディプリントと合わせてみたのがこの「slough」という作品です。この袋は、のちにパフォーマンスに使うことになるので、紹介しました。

これは「tinsel woman」といって、金ぴかの女性という意味の、天井に届くくらいの大きなトルソです。友達のボディプリントをやっているうちに、アメリカ人で、ものすごく豊満なボディの女性がいて、あまりにもいい、雌牛のような、立派なプリントがとれて、感動して、それはそれで、家宝になるような素晴らしいものですが、なんか、こう、自分にはない大きな塊、それも、女性性が出るような、私は女性だけれど、そんなものを持っていない、なんか、大地のようなものを出したいと思って、それも、3Dで作りたいと、中に詰め物をして大きなトルソにしました。

さきほど、大地を扱う(アースワーク/ランドアート)のスミッソンやクリストの画像を紹介しましたが、ちょうど、その頃は、大地にふれている作品に興味がありました。ナスカの地上絵にしても、まだ、マリア・ライヘが生きていたので、彼女に会いに、ナスカへ行きたいと思っていたり、いつかは、どこかに、自分の地上絵を描きたいとか、マザー・アースという意識が、すごく高くなっていた頃なんですね。で、1988年に、日本で「いのちの祭り」というのがありました。ピースムーブメントとして、音楽だったり、アートが、スピリチュアルなこととコラボして、ギャザリングする、という。でも、ちょうど、私は、ニューヨークに行こうとしていた時だったので、(それには参加できず)後ろ髪を引かれる思いでいました。地球規模のことを考えたいと思いながら、ニューヨークに移ったわけです。

そんな背景もあって、その頃は「土くさい」質感が気になっていて、この1枚はシェラ・キリーの作品。20歳そこそこの、若いカナダ人アーティストで、来日して、佐賀町エグジビット・スペースで展覧会をやっていました。たまたま、カナダ人の友人に関係者もいたので盛り上がりました。(有機的なモチーフを)エンコスティックやパステル、チョークで描いていて、生々しい。ただ、男性が描いた感じとは違っていて、乾いている。こういうのも、自分にはない要素なので、憧れはありました。(サンフランシスコの後に帰国した)東京を出る直前のことです。

その直後、ニューヨークに行っても、その(土っぽい)質感を追う感じはつきまとっていて……これは、アナ・メンディエータ。キューバの人ですね。土を女性の体に見立てて作って、干からびている。これなんかは、土偶のようなかんじ。こちらは泥ですね。まだ、泥が柔らかい状態で、女性の体を作っている。先ほどのティンセル・ウーマン、私が、でっかいトルソをつくったけれども、(その流れもあって気になり、彼女の作品は)ニューミュージアムで展覧会をやっていたか、カタログを見てだったかで知りました。知った時には、すでに、アナは亡くなっていましたが、彫刻家カール・アンドレの奥さんになった直後に、殺されたんじゃないかと言われていて、疑惑は、今でも伝えられています。現在の(若い)アーティストたちも(ムーブメントとして★)取り上げているほど、彼女は、ものすごくインパクトのある作品を作った女性です。レイプされたり、殺されたりした女性たちへのレクイエムといいますか、その存在を鎮魂するかのように作品をつくっています。確かに、痛々しい作品です。氷を使ったり、土を使ったり、炎を使ったり。でも、私は、人間一人分の存在感ということで、それほど、ネガティブには感じなかったです。「土に還る」という言葉があるように、向こうの人には「海に流れていく」考えもある。ネガティブな印象だけでなく……この写真は、血を連想させると思いますが、パフォーマンスの様子……やりようによっては、希望を持ったものとして受け止められると思い、すごく参考になったアーティストです。アナ・メンディエータ。
https://hyperallergic.com/305163/protesters-demand-where-is-ana-mendieta-in-tate-modern-expansion/

それから、これは、ナンシー・スペロですね。彼女は、レオン・ゴラブの奥さんでしたよね。ゴラブも、そうだけれども、ポリティカルなことをよく題材にしていて、彼女も、やはり、いろんな女性の虐げられた歴史だとか、過去にいろんな場所で、いろんな人たちによって行われてきたことを、虐待を含め、ポップな手法で(イラスト的に)表現している。アナ・メンディエータとは、違った方法です。これなんか、よく見ると、こんなすごい題材(首を切り落としている)なんだけれども、非常に軽やかに描いているのがすごいところです。

突然、私の作品画像が間に入っちゃうんですが……これは(箱詰めの作品で)、コンパクトに収めたい、ってだけでなく、もともと「文字や文章(メッセージ)を使う表現」が好きだったところへ、この頃、文章を使う流れ(アーティスト)に出くわして、影響され、制作した(箱の底にはウイリアム・ブレイクの詩を書いてある)ものです。こちらの絵には、Hold the eggs.と書いてあります。ヘビのようなイメージの横にあるので、「卵をあたためなさい」と考えてもらってもいいのですが、eggは手榴弾という隠語でもあるので、「手榴弾を投げるな=非戦」という(ダブルミーニングを持たせた)作品です。

私は、サンフランシスコにいた頃は、ニューヨークに行きたいのになかなか行けない、それならば、サンフランシスコの面白さを味わおうと、ビートニクスのことを調べたり、ブラックパンサー党の本拠地である、オークランドへ近づいたりしていました。アイダホにいた頃は、ヘミングウエイが亡くなった土地くらいしか、インパクトはなかったのですが、サンフランシスコに移ってからは、都市ならではの社会問題や現象を知る大切さを、目の当たりにしました。そして、ニューヨークで影響を受けたのは、先ほどの、アナ・メンディエータやナンシー・スペロ、(フェミニズムを追ったからではなく)たまたま、女性アーティストだったのですが、とし田さんや橋村さんのように、街全体が何かを抱えていることを表現しないわけにいかなくなって、自分も、言葉を発するものを作るようになります。

3_kruger_trump.jpgで、一番、影響されたのは、この人かもしれないですね。やっぱり好きです、バーバラ・クルーガー。この人の作品は、とてもスタイリッシュで、当時、彼女のことをアーティストだと知らぬまま、ファッションの一部として支持する人も多くいましたね。作品がTシャツにもなったりして。フォントがかっこいいとか、切り口がかっこいいとか。英語も意外とシンプルだったりして、(日本人も)結構マネしてましたね。……最近のですが、2016年の(大統領選の頃)作品、最高ですね。まだこれ、トランプが劣勢の頃で、いきなりLOSERですね!(ニューヨーク・マガジンの表紙になった、トランプの顔にLOSERの文字)

とし田:WINNERになっちゃったけど!

有坂:うん、WINNERになっちゃったよね!こっちは、Make America hate again! 実は、ちょうど今、アメリカから友達★が、子供を連れて日本に来ているんですけど、7歳の子が、私に耳打ちしたんです。「ヨーコさんはトランプ好き?」って。で、私が「I hate him!」と言ったら、彼女は大喜びで、サムズアップしました。でも、ぜったい、外で言っちゃダメ!って言うんです。日本だったら大丈夫だけど、アメリカでは、それは言えないって。(アメリカのほうが、何を言うのも自由そうですが)以前より、言えなくなった。ひどいらしいです。(ニューヨークでは)みんなトランプが嫌いなんだけれど、今は、本当に言えなくなった。で、富裕層の天国のようになってきて、トランプの思うツボだって。それが本当に残念だ、と友達は言います。なので、今後の課題を考えなければいけないなと思います。やはり、アートは、社会を影響するし、されるし。
★ ニューヨークで、有坂がアート・ディレクターをしていた雑誌の編集長だった人で、当時ふたりで、「バーバラ・クルーガー風の表紙」を作ろうとしたことがある。ちなみに子供の父親は、トランプの移民政策のせいで母国からニューヨークに戻れない。

私が、アートを真剣にやるきっかけになったのには、ふたりの言葉がありました。ひとりは、ジェームス・ボールドウィン。ご存知だと思いますが、アフリカン・アメリカンのホモセクシャルで、パリに渡って自由を得た(小説家)。彼の言った「世界を変えるのは、政治家ではなくて、アーティストだ」という言葉が、私の心の灯になっています。それから、ヨーコ・オノ。私は、あの人の歌声以外は、全部好き。彼女の「アートとは、物事をちょっと違う角度から見ること」が、私の座右の銘になっています。そういうのも、やはり、ニューヨークにいたからこそ、実感できることだったと思っています。

これは、ジェニー・ホルツァー。グッゲンハイムミュージアムでの電光掲示板の作品ですね。彼女の作品もかっこいいし、知的です。Protect me from what I want. なんて、いろいろ考えさせられるような言葉、今でこそ、こんなアートは多いと思いますが、当時は、すごく鮮烈でしたよね。本当に憧れました、誰も彼も。(彼女の発する言葉は)いろんな手法で表現されました。こんな風に、飛行機から引っ張ったり、台座に刻まれたり……違う言語の作品もあります。さっき、みなさんがおっしゃっていたように、言葉を持つ大事さはありますね。

さて、The New Bohemia とありますが、雑誌の特集記事のタイトルなんです。私は、ニューヨークに住んでいましたが、マンハッタンには一度も住めませんでした。物件が見つからなかったのと、お金がなかったからですが、マンハッタンの隣に、ブルックリンの端っこなんですけれど、ウイリアムズバーグという地区があります。(この写真では)左のほうに、堤防みたいなものが見えますが、かなりヤバいところです。こうして、マンハッタンを見ながら、「自分たちはお金がないけれども、勝負するのはあっちだ!」とか言いながら……お金のないアーティストたちが、いっぱい住んでいたところです、その当時は。私がいたのは、プエルトリカンが住む地区で、(真夏なんかは)夜中の2時くらいまで、ストリートで、サルサで踊り狂っていましたね。暑くて、部屋の中にいられないので、子供も一緒にワーワー遊んでいる。消火栓を開けて(水を出して)。そんな地区。そんな中にある、ウエアハウス、機動していない工場(倉庫)跡に、私もシェアして、住んでいました。で、この雑誌、ニューヨーク・マガジンですが、当時、この地区に住んでいたアーティストたちのことが、特集に組まれました。

先ほど、みなさんのお話に出てきたイーストビレッジは、80年代に、ものすごく盛り上がりました。で、そこにあぶれてしまった僕たち(ウイリアムズバーグのアーティストたち)は、イーストビレッジのアルファベットジャングル(アベニューA、アベニューBといった地区)から、はみ出して、川(イーストリバー)を越えて、(対岸の)ウイリアムズバーグに行っちゃった、というストーリーです。ここは、本当に家賃が安かった。でも、英語も通じないくらい、スパニッシュばっかりだった。で、治安がめちゃくちゃ悪かった。その当時、サウスブロンクスが、一番、危険だと言われていましたが、実際は(ポリスから直接聞いたところによると)、そこより悪かったそうです。ひと月に、5〜6人、もしくは、もっと近所で、死んでいる。私も強盗に遭ったり、散々な目にあいました。でも、ここにいるアーティストたちは、ちょうど、都筑アートプロジェクトが地域と関わりを持ちながら、アート活動をするように、ウイリアムズバーグの地元の人とコラボをしていました。私もです。で、ちゃんとしたギャラリー(営利/非営利にかかわらず)が、まだ、あまりなかったけれど、あるギャラリスト(アニー・ヘロンだったかな)がここに来て、これから、どんどんアートシーンが面白くなっていく、という内容。で、ここ(ページの画像)に、女性のような男性のような人がいるんですが、メディアという名の、会うたびに、男だったり女だったりする、クロスドレッサーのアーティストです。ここに、彼女(彼)の言葉が添えられています。「80年代はイーストビレッジだったけど、90年代はウイリアムズバーグ(の時代)よ」って。

このあと、ここは、おしゃれな町になっちゃって。都合いいんですが、おしゃれになると、つまんなくなってしまう。この、最新号のBRUTUSに出ている、この表紙が、ウイリアムズバーグで、さっき、とし田さんが話したDomino Sugarのあるビルディングが、これ。当時、このへんはもうドロドロで、危なくって、娼婦も立っていたんですよ。トラックドライバーが、スピードを落として、品定めしてたようなあたり。でも、ちょっと行くと、使っていない倉庫が、いっぱいあるので、アーティストたちがシェアして、いろんなことをやりました。で、スパニッシュ(ヒスパニック)の人たちとコラボして、何とかしようと。「何とか」とは、どういうことかというのは、この後で言いますが……

今、私が着ているのは、(立ち上がって見せながら)当時ウイリアムズバーグのアーティストたちで作ったTシャツです。後ろは、こんな具合。先ほどの、バーバラ・クルーガーの手法に似ていますが、文章を使って、表現しています。シャツのプリント面を、見やすいように画像にしてみました。W.W.W. BENEFIT DANCE PARTY、このW.W.W. はウォーターフロント・ウイリアムズバーグ・ワールドの略。BENEFITだから、チャリティーのダンスパーティをやるぞ、ってことですね。左のほうに、FINAL GOODBYE TO TEST-SITE、こんな危険なところ(試験場)アバヨ、ってことです。 何が危険か、ということですが、ここにある、Cinder City……このCinderとは、Cinderella(シンデレラ)のCinderで、灰とか、コゲコゲとかの意味で、ウイリアムズバーグがパラダイスのように思っていたけど、コゲコゲなんだと。これは何か、っていうと、焼却炉。これ、ずっとありましたよね。焼却炉っていうか、TOXIC、有害物質の処理場がある。一時期、ゴミ問題で、ゴミをどこに持っていくかで揉めていた時代がありましたけど(実は今でもネットで探ると有害物質が残っているそうですが)、こんなところに、僕たち、住んでいられない、力を上げよう、といったパーティだったんですよね。STOP THE INCINERATOR(焼却炉を止めろ)や、TOXIC BOUTIQUE このBOUTIQUEとは、百貨店という意味で、いろんな種類の有害物質がある、有害物質、総ざらえってとこですね。こんな地区だけど、アートがあるぜ、何とかしよう、って集まりで、Art! Chachkas! Sharp Duds!(アートあり、ケバいアクセやイケてる服もあるよ)と、いろんな出し物がありました(有害物質の多さにひっかけて)。(それで入場料たった6ドルポッキリ!)

で、背中のほうですが、文字が小さいので抜粋してみます。What deals will Jorling Now enact To circumvent The Clean Air Act? この、Jorlingとは、当時のニューヨーク州環境省局長のトーマス・ジョーリングのことなんですが、「大気汚染防止法を回避するために、彼はどんな取引を法律化しようってんだ?」と抗議している内容。とか、Mercury breath Blood of lead The city sleeps In a burning bed(水銀の息、鉛の血、都市は燃えるベッドで眠りにつく)なんて、ポエティックな書き方もあります。ちょうど、選挙があったので、Ask yourselves In the election Is this environmental Protection?
(この選挙で自問するがよい。これは環境保護なのかと)とか、Incineration costs So much it’s funny Let’s save a step And burn the money!(焼却コストが嵩むって、おかしくないか?だったら、横着して、金を燃やしてしまえ!)なんてのもあります。このように、言葉に表現するのは効果的で、今だったら、普通なことでしょうが、当時、アーティストはワクワクしましたね。ただの正義感だけじゃなく、こうやって形にするのは、私も刺激を受けました。

4_body_bags.JPG時代を、ちょっと戻らせてもらいます。先ほどの(ウイリアムズバーグの活動)が、1992年頃ですが、これは1987年です。実は、中国を旅行した際に使った寝袋のライナーを、アートに使いたいと思っていたのですが、DIE-IN ダイ・インという手法を使って、広島の原爆に関するパフォーマンスをやろうと決めました。通常、ダイ・インは、死んだふりをして 、何かに抗議するんですが、私は、死んだ状態から「再生する」ところまで、表現したかったので、袋の背面にガイコツ、正面にはポップな感じで、人間の絵を描きました。この画像は、当時の中国新聞なんですけれど、(原爆記念日に)ダイ・インのひとつとしてこんなパフォーマンスがありました、という記事です。で、同じことをニューヨークでやりたい、と思ったんですが、ネガティブな感じでとらえたくないので、(原爆が落とされた)8月6日にはやると決め、私は、日本でこんなことをやったけど、セントラルパークでは違う方法でやります、ということをはっきり言って「みなさん、一緒に地球を抱えてください」と声がけをしました。「腹ばいになることは、地球を抱えていることになるんです、やってみてください」と、このビラを配ったら、大勢来てくれました。これを見た新聞記者も宣伝してくれました(DAILY NEWS)。OCSニュースも、書いてくれました。

R0132558.pdfこれを「ボディ・バッグ・パフォーマンス」と名づけて、私は(袋の中でパフォーマーの)気持ちが静まるようにベルを鳴らして、「まず瞑想してみてください。寝ちゃってもいいです。しばらく(このベルの音に)委ねてください。そして、地球を感じてください」と伝え、「ピースフルな(ポリティカルだと思ったらそれでもいいですが)ことでやっているので、いいと思ったら参加してください」と言ったら、ミュージシャンの人たちも、パーカッションを持って集まってくれました。面白いことに、ジャム・セッションは、向こうの人たちは慣れていて、バイブレーションを集めるのがうまいので、いいパフォーマンスができたと思います。当日は、かなり暑かったのに、40分間、みんな、袋の中に入っていました。時間になっても、まだまだ、袋を脱ぎたくないと言う人もいました。なぜかというと、これはひとつの例ですが、仮面をかぶった時に、違う人格になる感覚がありますよね。フルボディーで被っても、そんな感じで、踊り出したくなったりするみたいです。死んだ真似をしてもいいんですが、(袋に入ることによって)何か違う自分に感じてほしい、と思って、そんな時間を設けたわけです。

の袋たちは、その後、シアターのほうで使うことになりますが、私は、パフォーマンスをミュージシャンやダンサーとか、いろんな人たちとコラボをしました。今でこそ、日本でも、パフォーマンスも異種コラボも、当たり前かもしれませんが、当時は、日本では中々なかったことです。アメリカにいて、いろんな人とコラボをするって、こんなに面白いんだと感じ、いろいろな表現を楽しむことができました。今、日本ではパフォーマンスはやっていないですけれど、ひとつの目的やコンセプトがあれば、アートは本当に楽しいと思っています。

現在、私は、この近所にもある小さな富士山、富士塚というものを紹介しています。アメリカでは、日本に帰れない人がいて、(学生運動をやった過去があるというだけで)ブラックリストに載ってしまい、帰るに帰れない人たちもいたんですが、そんな人たちと一緒に新年を祝って、お酒を飲んだことがあります。でも、初詣をしたいけど、(神社仏閣がないため)それができないことに気づき、私が鳥居を作って、聖地とし、それをもって、初詣とするイベントをやりました。日本でも、それに近いことをやりたいと思い、富士山に行けない人が、富士塚に登って願いを叶えるという、ささやかな気持ちをテーマにしたり、あるいは、「聖地を作る」という行為も、ひとつのアート活動ではないかと、今は、やっています。やはり、向こう(アメリカ)に行かなければわからなかったことが、山のようにあるので、アメリカでの経験は、私にとって、かけがえのないものになっています。以上です。