足下から辿る歴史



















































足元から辿る歴史

 土や木片など様々な素材に導かれていろいろな場所を旅して来ました。一片の焼かれた土や木っ端が空間と響き合い場所を開く。その瞬間に立ち会いたいがために日々つくり続けてきたような気がします。「場所が開く」ところは、街や古墳から食卓までいたるところにあります。「場所が開く」とは言い方を変えると、場所の特性が明らかになって、空間に対する意識が活性化し「モノがよく見えるようになる」ということかもしれません。場所やモノの背後にある歴史的な層は見えづらいですが、現在を成り立たせている重要な要素です。場所が開く時、歴史的な層が感知されると同時に今現在ここにいる自分自身の存在の不可思議さにも気づかされます。足元から歴史を辿るという意識はもう一つの終わりのない旅に繋がっているのです。その例えで言うなら、都筑アートプロジェクトは私にとっては旅先の宿みたいなものかもしれません。そしてこの宿で偶然出会った仲間と新たな旅が企画されるということは、ささやかな楽しみでもあり、travel(旅)の語源のとおりtravail(労苦、骨折り)でもあるのです。

美術家・金井 聰和

食卓に思う

 先日、学生時代の恩師に漆器を頂いた。お膳五脚にそれぞれお椀や小鉢、小皿が組になっているもので、江戸中期か後期のものであろうとのこと。金沢の骨董屋で求められたあとで、直しの塗を施されているので、つくられたばかりのように艶やかだ。
きっかけは7月の個展での何気ないやりとりだった。展示は食卓をテーマに、ちゃぶ台をモチーフにした作品をだしていたので「先生のご幼少のころはお膳などは使われていましたか?」と聞いてみたところ、すでに当時はあまり使われなくなっていたとのことだった。「そういえばうちにお膳があるな。使ってくれるならあげるよ」と急に言われたのであわてた。後日、まずは拝見ということになったが、結局いただくことになってしまった。
 台風が近づく風雨のなか、お膳と組碗の入った細いたんすのような木箱を車に積んで持って帰った。部屋に運び入れ漆器を箱から出した時、全身に衝撃が走った。赤く輝くお膳が、部屋のみすぼらしさを際立たせていたのだ。
IMG_0450.JPGSeptember 25. 2018 いくらか想像はしていたが、ここまでとは、と肩を落とした。やはり暮らし向きに合うモノと合わないモノというのは厳然とあるのだが、自分がいかに日常のなかで「美」を疎かにしてきたかを突きつけられた思いがした。同時に、この時感じた違和感は近代の日本が辿って来た150年の隔たりを実感させてくれるものでもあった。「この漆器のお膳が合うような部屋にちょっとずつ変えて行きましょう」と、妻がなぐさめの言葉をつぶやく。
 それは土台無理な話なのである。遠すぎる未来に目がくらんだ。
 お膳はすぐには使えなかったが、お椀は、おつゆを入れたり、買って来た鰻で小さい鰻丼にしたりして活用しはじめた。

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